根をもつことと翼をもつこと

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宗教は、超越を志向するものと通常は考えられる。けれども、それが生まれてきた土壌というものは、人間のリアリティだ。

言い換えれば、イエスの登場の土台には、旧約聖書の民の壮絶な神との格闘の歴史がある。

さらに言い換えれば、キリスト教信仰は神による救済と、そのいわば前提となる人間の罪の現実への冷徹な眼差しが1セットになっている。

 

けれども、現実のキリスト教は、どちらかといえば超越志向となりがちだ。いわば翼を広げて天上の世界へと飛翔する存在としての信仰者。しかし、その信仰者じしんへの眼差しを欠いた救済なるものは、その力を欠くのではないか。

如何に人間が地べたを這いつくばるようにしてしか生きていけないか。にも拘らず、そういう人間が「神の子」と呼ばれる。この2つの相反する力が合わさる先に、この信仰の救済が持つ「射程距離」の大きさというものも生まれてくるのではないか。