「なおりたいのか」ヨハネ5:1〜9a

主よ、「安住」と言われれば、確かにそうです。しかし、居直るほどの気力も無いのです。身動きがとれないのです。言い訳がましく自己弁護する他、どうしようもないとおもっているのです。それが私共の現実であることを、他の誰でもなく、あなたがご存知のはずです。

主よ、あなたは、真っ直ぐな願いを求めておられる。僻み続ける私共に、あなたが真っ直ぐ問うておられます。その真っ直ぐな歩みが、十字架に繋がる道でした。

主よ、あなたが求めて止まない私共自身を、今、あなたの御前にさらけだします。主よ、捉えて下さい。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「言葉を信じて」ヨハネ4:43〜54

主よ、人の言葉が信じられない時代です。いいえ、いつの世も、人は偽りを重ねつづけています。その只中で、神の言であるあなたが肉をとってこの世に来てくださいました。たった一つ、あなたご自身がご真実を貫いて下さいました、不信仰な者のために。それ故に十字架で裁かれて下さいました。

主よ、自分自身さえ信頼できない私共です。そのような者だからこそ、あなたというご真実があることを感謝します。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「まことの礼拝」ヨハネ4:16〜26

主よ、一見真実そうに見せることにばかり長け、偽りしか持ち得ない私共の中に、あなたが「まことの礼拝」を打ち立てて下さいました。あなたの十字架の御前にあること。それだけが、私共の偽りを「まこと」に、自らを礼拝するような者をあなたを礼拝する者へと回心させてくださいます。

主よ、日々、ここに立ち返ることが出来るようにしてください。そうでなければ、偽りの水で渇きを癒やし続け、更に渇きを増すばかりだからです。ここで自らを知り、そしてあなたを排しまつることが出来ますように。

主よ、私共の今日一日の手のわざを、偽りから遠ざけ、御心に叶うものとしてください。流される放送を通して、リスナーと共に命を頂くことが出来ますように。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「生ける水」ヨハネ4:1〜15

主よ、「渇いている者は誰でも我に来たりて飲め」とあなたはおっしゃいます。私は自覚症状が無いのです。あなたからご覧になれば渇ききっているのに、私はあなたのもとで水を汲まなくてもやっていけるなどと、自分の渇きにたかをくくっているのです。そうして、自らに死を招いているのです。主よ、死に至る病を自らの内に抱えた私共のところに、あなたが生ける水として来てくださいました。私共の渇きを思い出させて下さいました。あなたご自身が「渇く」と十字架の上で、ご自身を注ぎ尽くして下さったからです。主よ、あなたの渇きの前に、私の偽りの満たしを投げ捨てさせて下さい。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「天から来る者」ヨハネ3:31〜36

主よ、あなたは天にいまし給う御方ですのに、敢えて、この地に降り給う方です。今日も私共は、この地を這いつくばるようにして生きてまいりました。この地しか生きる場は無いにも拘らず、ここに地獄を自ら作り上げる他無い私共です。この地獄に、あなたは宿り給う。主よ、天を目指すことに絶望した私共のところに、あなたが降りて下さいました。ですから、この地獄にも希望があります。インマヌエルの主よ、今日もあなたが共にいまし給うことを感謝いたします。

主の御名によって。アーメン。

「彼は必ず栄え、わたしは衰える」ヨハネ3:22〜30

主よ、あなたが私共の献身よりはるか先にご自身を捧げて下さいました。私共のためです。それに何一つ応じることの出来ないものです。あなたご自身が栄えるはずの御方が、衰える道を歩んでくださいました。そして私共が赦され、生かされております。主イエスの十字架が全てを反転させました。私共の呪いをあなたが引き受け、あなたの恵みを私共が頂いております。主よ、あなたこそその栄えを受くべき御方です。身に余る者を今日も頂いたものとして、衰え滅びるこの肉体を通して、あなたを崇めさせてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

「出会った」ヨハネ1:35〜51

主よ、出会いの場も時も、自らのタイミングばかり考える私です。けれども、あなたが主導権を握っておられます。私があなたを待ち構えるよりはるか先に、あなたが私を待ち構えておられる。呼ばれたザアカイが降っていったように、主よ、私の下で待ち続けておられるあなたのもとに降っていくものとさせて下さい。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。