「神の小羊」ヨハネ1:29〜34

主よ、私共は第一歩から既に踏み外しております。それを知りながら、間違った道を歩き続けるのです。主よ、そのような罪人の歩みを、主イエスが踏み直して下さいました。私共の過ちの第一歩を、あなたの贖いが全て書き換えて下さいました。神の小羊。そうです、屠られた小羊こそ、私共を義として下さる唯一の方。主よ、あなたの御足の後を、第一歩を、私共の歩みと重ねることが出来ますように。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「知らないかた」ヨハネ1:19〜28

主よ、偽りの謙遜ならば、それを捨て去らせてください。自分自身でなく、ただあなたを証する声として、自らを低くされることの喜びを私にも教えて下さい。低きに降り給う主よ、私も自らの低きところで、あなたと出会い直すことが出来ますように。そこで、未だ知らぬあなたと、また私自身を知ることが出来ますように。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「めぐみにめぐみを」ヨハネ1:14〜18

主よ、あなたこそ無から有を作り出す方。この罪人の内にあなたの恵み、あなたご自身を宿らせ給う方です。そのあなたご自身でなく、「幸福」を求めて止まない私共の内に、主よ、どうか新しい心を創造してください。私というこの闇の中で、あなたのご栄光をあらわしてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

「善にさとく、悪にはうとく」ローマ16:17〜24

主よ、私共はいつも、あなたの御言葉を利用し、御心を自分に都合よく理解しようとしたがるのです。「鳩のように素直に」というあなたの言葉を無視し、ただただ「蛇のように敏く」あろうとする私共です。そして同時に、いつまでも未熟であり続けることを、あなたご自身が許し給う方ではありません。

そのあなたが、ご自身、愚かになってしまわれました。全てのものに満ちておられたあなたが、それらを全て捨て、十字架への道を歩むことをご決意して下さいました。その御心を思う時を過ごしております。主よ、私共の知恵の空しいことをあなたの十字架の御前で思い知ることが出来ますように。

今日の放送をあなたが用い、リスナーの今日をお支え下さい。私共の手のわざをそのために用いて下さい。

主イエスの御名によって祈り願います。アーメン。

「主にあって」ローマ16:1〜16

言葉巧みに人に取り入り、あるいは手なづけようとする私共です。挨拶など形や手段に過ぎないと、私共の「常識」が言うのです。けれども主よ、そのようにして私共はあなたにある交わりも汚す他ない者共です。

このような有様で、今日も私共は御前におります。主よ、憐れんでください。十字架の傷が刻まれた御手がつないでくださらなければ、私共はあなたにあってさえ心を交わすことなど出来ず、傷つけ合うばかりです。命の主よ、あなたの御前で私共が何者かを悟ることが出来ますように。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

「祝福をもっていく」ローマ15:22〜33

主よ、私がどのような有様であっても、あなたの給う祝福、内におられるあなたご自身が表れ出ますように。愚かにもあなたを飾り立てようなどと思う私の企てを取り除き、何も持ち合わせの無いものとして、虚しく愚かな者として、ありのままの私として、あなたの祝福を運ぶ者とさせて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。

「思い切って」ローマ15:14〜21

主よ、人の目からは、大胆も傲慢も区別が付きません。確信に満ちて語られる言葉の数々は、メディアだけではありません。そのような声に疲れ果てる私がおります。主よ、あのパウロはあなたの細き声を聴いた男でした。主よ、あなた自身、私共の細き声を聞き漏らすことの無い御方です。この静けさの中で、あなたの大胆さ、十字架にまで、闇の彼方にまで進まれる御心に触れることが出来ますように。

主イエスの御名によって祈ります。アーメン。