「悲しみのあまり」マタイ26:36~46

杉田太一200字説教

「悲しみのあまり」マタイ26:36~46

www.febcjp.com私の悲しみ。私が担うべき悲しみ。それでいて、担いきれず、見てみぬふりをし、あるいはどこかに置いてきた悲しみ。それら一切を全身で担い給う主よ。御顔を地に押し付ける程に、私共の、この世界の悲しみは巨大で重苦しい。私共の悲しみがあなたを死に押し潰します。

そのようにして、この私共を担い切って下さる主よ。私共自身を殺してしまう程の悲しみも、あなたから離れては存在しません。この世界のどんな悲しみも、あなたが知り給わないものは無いからです。この慰めの御言葉を、悲しみのニュースが絶えない中で私共は聴きました。主よ、御心が天で行われる通り、地にも行われますように。不条理の中で喘ぐ人々をどうか顧みて下さい。

今日、流される放送をあなたが用いて下さい。リスナーの傍らに、その悲しみのそばに、あなたご自身がご臨在下さいますように。

主イエスの御名によって祈り願います。アーメン。