小室直樹と私 その1
小室直樹博士(以下、小室)の名著『危機の構造』『ソビエト帝国の崩壊』が復刊される(後者は8/9に発売済)。そのことを寿ぎ、拙文を認めることにした。
私が小室を知ったのは、橋爪大三郎氏の『民主主義は最高の政治制度である』を読んだことにに始まる。
高校生の時にこの本を読んで、社会学というものに興味を持ちはじめた。私にとって高校時代は黒歴史そのものなのだが、こういう本を読んで自らの鬱屈を慰めていた。
この本はもう処分して手元に無いが、前書きか後書きのいずれかで、小室に感謝を述べていた。「この橋爪先生がいたく褒めている小室直樹という人はどういう人なのだろう」と思っていた。
当時はインターネットは少しずつ普及し始めた頃。スマホなどは当然無い。「小室直樹」という名前だけは覚えていた。
大学進学を考える頃になり、社会学部か社会福祉学部か、どちらかに行こうと考えていた。結局、後者のある大学に行くことになるのだが、前者のことを調べている中で、『社会学がわかる。』という本を図書館で見つけた。
この初めの方の記事を、橋爪氏が書いていた。その記事のミニコラムに、確か「私の尊敬する人」として小室のことが書かれていた。激賞、と言っても過言ではない文章に惹きつけられた。
結局、社会福祉学部に入ってものの、直接の介護や福祉サービス提供は自分には向いていないことを痛感し、社会学のゼミに入った。そこで漸く、少し本格的に社会学の学びをし始めた。
デュルケム、ヴェーバー、ジンメル、マルクスと言った古典を、訳も分からずに読み散らす時が続いた。そのゼミの先生には大変お世話になり、学問的な影響も大きく受けた。その中で、自分が最初に触れた社会学というものは、社会学のごくごく一部に過ぎず、特に『社会学がわかる。』で扱われているような文献は、どうやら実証科学としての社会学の観点からすると、どうも…という印象がすることを感じ取った。
多少、物事をかじるようになると、初期に経験した事柄を自分で否定したくなるということはあると思う。事実、橋爪氏の本は大学3年生頃にはもう殆ど処分してしまって読まないようになった。
それと並行して、小室という人物はだいぶ奇矯な人物であることも分かり、自分の中で橋爪氏のランクが下がることと合わせて、その人が褒めている小室という人物もどういう類の代物か分からないなと、かなり眉唾ものの存在になっていた。
恐らく、それと大体同じようなタイミングで、小室の本を初めてちゃんと読む機会があった。
よく行っていた古本屋があった。今では珍しくなってしまった、薄暗い、本が棚から溢れて床にも平積みされているような古本屋。そこに何を買う宛も無く、また立ち寄った。背表紙の難しそうなタイトルを見ては、それで賢くなったような気分になるため、だった。
その書棚の中にではなく、棚の上に、「4冊で1000円」と札がついてまとめられているものの中に、小室の本はあった。『ソビエト帝国の崩壊』『アメリカの逆襲』『国民のための経済原論Ⅰ』『同 Ⅱ』の4冊だった。
「ああ、あの橋爪さんが褒めていた人の本か…」
体裁はビジネス書、しかもタイトルは「賢くなりそう」なものというより下世話な印象の新書だ。
「ものは試しに買ってみるか…」と、棚の上から降ろし、古本屋の店主に持っていった。口には出さないが、「いや、今どきこんな小室直樹なんて読まないんだけど、ちょっと一回くらいは読んでみようかと思いましてね、物珍しさで」というような心持ちで会計を済ませて、自宅へ帰ったのだった。
それから、私が小室直樹にハマる「第一回の波」が来るのだった。