加藤常昭『主イエスの背を見つめて』

「祈りは、神がわかったらその時から始めるというたぐいのものではありません。神を求める、信仰を求める、それはすなわち祈りであります。祈りなくしてはあり得ないことであります。
また、一度信仰を言い表しながら迷い始めると、祈りをやめてしまうことがあります。しかし疑う時こそ、祈ることが求められます。神さま、わたしはあなたのことがわからなくなりました。そう神に向かって祈ることなしに、その疑いから解かれる道はありません。
それ故に、信じる者も、信じようとしている者も、信じ得なくなっている者も、この祈りにおいてはひとつになります。」
「私どもの信仰の生活の聖所が、神を仰ぎ見るべきその核心のところが、いかにさまざまな力によって踏みにじられ、荒れ果て、私どもの信仰が打ちのめされることでありましょうか。
しかし、そのこっけいなほどに物笑いのたねにされ、荒れ果てている自分たちの礼拝を指さしながら、まさにそこで『あなたのみ顔を輝かせてください』と叫ぶのであります。」
(加藤常昭『主イエスの背を見つめて』)